"推し”ってなんだろう
こんにちは!あくとです。
11月4日はいい推しの日だそうです。(投稿日は次の日ですが)
ハッシュタグで推し活をしている人もいましたが、いかがお過ごしでしょうか。
さて、本記事はタイトルにもあるとおり"推し"について書きます。
こう書くと僕の推しについてつらつら書くのではと思うかもしれませんが、どちらかと言えば哲学的な方面なので、そんな話読みたくないわ!って人はブラバしてください。
推しって言葉自体新しいと思ってしまう老害的考えがあるのですが、この言葉を検索すると元々アイドルグループの中で一番応援したい人のことを指す言葉らしく、AKBが広げたと言われているようです。
なるほど、確かにAKBが広まった時期はオタク(当時はヲタクという表記が多かったですが)という言葉が世に広がり、ネットスラングもかなり広がったと記憶しています。
この定義をアニメやゲームのキャラクターなどに当てはめると、"推し"と言われる存在はある一定の範囲内で一番応援したい人やキャラを指すということになりそうです。
しかし、応援したいという気持ちではなく単に好きであるという気持ちでも使われてますし、一番が何人もいるって人もいますし、(字面にするとめちゃくちゃですが)逆に推しは一人でこの人とあの人は好きな人など律儀に段階で分けている人もいます。
このように、"推し"という言葉は人によって様々であると言えます。
個人の意見ですが、それぞれの考え方を尊重しますし、単推しな人もDDな人もウェルカムです。それぞれ違うのがいいと思っている節まであります。
じゃあお前の考える"推し"ってなんだよ?と思われるかもしれませんが、これが頭を悩ませるんですよね。(じゃあなんでこんな記事を書いたんだって話ですが)
こうゆう理由で応援したい人など、世間一般でいう"推し"に該当する人やキャラはいるのですが、先述したとおり、"推し"という言葉が新しいと考えてしまう節があり、この二文字にまとめたくないと考える面倒くさいオタクの一面がどうしても出てしまうのです。日本語って難しいですね。
このような理由から、"推し"という言葉が出されたときに「この人の”推し”ってどんな意味を持っているのだろう」と考えてしまうのです。でも世間一般ではかなり広まってしまった言葉だからあまりこの言葉の意味について深く考えず使ってしまう人も多いのではないでしょうか。この差異を感じてもやもやしてしまうのです。こういった背景から、僕は推しという言葉を極力使わないようにしています。
タイトルにある"推し"ってなんだろうという問いは、答えが出るかはわからないし、おそらく自分の中でしっくりこないのではないかと考えながら、この言葉が死語になってしまうのではないかと感じます。
でも、推しという言葉は主に"応援したい"という気持ちと"好き"という気持ちが前提にある言葉であることを世間に広く知れ渡っているからこそ、通じやすく使いやすいという側面もあります。
「推しは推せる内に推せ」
という言葉は短いながらも意味としてはとても重い標語だと感じます。
特に昨今はユニットが解散したり、はたまたライブ会場やお店が潰れたりと、永遠な物はこの世に存在しない、諸行無常であるととても感じます。
「人の感情もいつかは変化する、でもこの一瞬一瞬に感じる思いは一つ一つが真実であるから、この気持ちに正直になろう。」
"推し"だからこそこうしないと!って半ば強制的に動いていた節があったのですが、ふとそれって果たして自分の幸福に繋がるのか、はたまた応援することになるのかと立ち止まってしまう時があったのです。しかしこう考えるようになって、その時々の気持ちに素直になればいいじゃん!と思考するようになれ、自分の中で肩の力が抜けたような気持ちになれました。
好きという気持ちってめちゃくちゃ大きい労力を使うし、人の感情を大きく揺さぶらせるものだと思うのです。だからこそあれこれ考えるよりも正直になった方が、ストレスも少なく楽に過ごせるのではないかと考えると一石二鳥じゃあないでしょうか。
最後の方は結構な私見でしたが、推しという言葉について考えてみるもよし!考えてみないもそれもまたよし!ということでお開きにします。
ご意見やご感想があればコメントなどしてくれると(多分)読みます。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
それでは!